タクシーをシータク。

寿司をシースー。

モデルはデルモだし、六本木はギロッポン。

TVの業界ではやたらとコトバをひっくり返す。

堺正章さんなんて、2回ひっくり返り、
マチャアキから アキ・マチャを超えて
キアチャマと呼ばれているらしい。

広告業界でもTV業界とダブって割と使われることは多く、
知り合って割とすぐに人を「○○ちゃん」と呼ぶ風習とあわせて
肯定派、否定派に分かれたりする。

自分のまわりでは当たり前のように使うわけでもないが
会話のちょっとした楽しみにしばしば登場したりすることも。
(ようはコトバアソビ的な)

先日のラインチタイム。

「今日のルーヒーは?」
「メンラーもドンウーも行ったし。」
「じゃ、スーシーで。」となった。

一ツ木通りの寿司屋さんで
「なんでひっくり返すんだろうねえ、そもそも。」という
「ギョーカイ用語そもそも論」について盛り上がり、
1.5人前が来たところで、
「あ~、ルービ飲みたいね」、「ルービ頼んじゃう?」と
半ば?冗談で言っていたら、店員さんが一言、
「ルービ、行っときます?」

いや~、さすが、TBSの街。


さて、こんなギョーカイ用語現象は、
当然日本だけかと思っていたら、
なんとフランスのTV番組でも本当にあるらしい。
(シースーに行った同僚談)

メゾン → ゾンメ~
タンゴ → ゴタ~ン
てな感じでキャスターがしゃべったり、
コーナータイトルになったり。

「インターナショナルTVギョーカイ用語バトル大会」
なんてもしあったら、
まったく会話が成り立たないだろう(笑)。

“Why don‘t we take a 
シータク to ギロッポン?“
から始まり、各国のコトバがひっくり返る。
なんてことも遠くない将来には起こるかもしれない??
(ないない。。^^; たぶん)



生きているコトバ。

言葉の乱れが問題視され、正しい使い方が失われていく現代。

残し、伝えていくべき「正しい」ものは大切でありながら、
一方毎日、日本の、世界のどこかで生まれてくる、
その場、その仲間だけにしか伝わらない言葉もまさに
コミュニケーションの手段としてはアリだと思う。
というか、否定するまでもなく、
そこにたしかに存在している。
(正しいのかどうかは別にして)



コトバ。言葉。言の葉。

時に文学であり、
時に手段であり、
時にビジネスであり、
時に暴力。
時に絆。

ココロの叫びであり、
笑いのネタであり、
愛のささやきであり、
癒しの魔法であり。

そもそもギョーカイ用語ってどうよ
・・と向き合ってみて、
奥深さを見つめ始めたら、
たまらなく無限なるものと
感じられてきた。

言葉との付き合い、
もっと大切にしなくては。
もっと感謝しなくては。