第三便の遅れた訳

第一便、第二便の出た当時、
第三便も「半年後には出るだろう」などと
答えたいたらしいが、実際には「六年もかかった」。

まず、第一便、第二便は主に新聞での連載をまとめたもので、
連載が終わり(期間として)「ほっとしてしまった」ようだ。

次に他の執筆が忙しくなっていたこと。

そして第三の理由は、第三便での旅が旅としての
「むずかしい段階にあった」からであるということ。

旅をひとつの人生とすれば第一便は青年期、
第二便は熟成した壮年期。
トルコ以降の第三便は終末へ向かう老年期であり、
「どう旅を終わらせるか・・という大きなテーマには
まだ準備ができていなかった」のかもしれない。

ある評論では「全三巻の予定だが、
旅は二冊目で完結しているとも言える」と
書かれ、沢木氏自身も「そうかも」と感じたようだ。



必要だった時間

しかし、前二冊には第三便の章立てを刷り込んであり、
これを完結しないのは「美しくないと思った」。

未知の旅の頂点に向かった第一便、第二便に対して、
第三便は既にわかっている世界に下りてくる旅。
読者が待ち望んでいる作品として、
第三便の存在意義を見出すのに
時間がかかったのは当然かもしれない。
いや、むしろすぐに第三便を出していたら、紀行文として
若干違うものになっていただろう。

第三便の「あとがき」にある一節が印象的だ。

「・・・この六年が、この第三便には必要だったのだ、
という気さえする。」

こうして、「深夜特急」は、見事に完結したのであった。



れから旅する人へ

2005年、「深夜特急」が韓国で翻訳出版されることになり、
出版に寄せて、ということで、沢木氏が韓国の若き旅人に
こう記している。


(要約)
旅は気軽にできるようになったが、
大切なのは「行く」ことだけでなく、
「行く」過程で、何を「感じ」られたかが重要なのです。

あなたが旅をしようかと迷っているなら、
こう言うでしょう。
「恐れずに。」
「しかし、気をつけて。」

旅は人間がいかに小さいかを知る場であり、
大きくなるための場である。
教師は世界中の人々であり、
教室は世界そのものであるという学校。
そして、教科書を作るのはあなたなのだ。
(要約ここまで)

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最後の五行にすべてが凝縮されていると思う。
ある意味、喜怒哀楽の極限さえも旅の中で
味わってきた沢木氏ならではの言葉だ。

いかに旅がすばらしい学校か。
そしてどれだけすばらしくできるかは自分にかかっている。

「深夜特急」ほどではないが、いくつかの旅を経験してきた
自分でも、この気持ちはとてもよくわかる。

リアルな「発見の旅」は時間的にもなかなか行けるものでもない。
これはこれであたためておきたいと思う。

そして、そんな夢の旅までは灰色の毎日・・
とするわけにもいかないので、
日々、発見のプチ旅はこころがけたい。

あらためて、人生という旅を見直す時期かもしれない。
まだまだ小さな自分。

それほどまでに、世界というものは大きい。


(長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。)