初めてイサムノグチ(の作品)に出会ったのは
1991年。
アーティストとしての名前は聞いていたものの、
まだネットも普及しておらず、
AKARIの写真を見たことがある程度だった。

当時短期間住んでいたシカゴで、
ある週末上司が自宅に招いてくれた。
そこのリビングを優しく照らしていたのが、イサムのAKARI。
日本ではなく、彼の母国、アメリカで現物に出会った。

シカゴというある意味、最もアメリカ的な都市の郊外のリビング。
そこに日本人の「行灯」と西洋の「Light」が
これほどまでに美しく融合して
生活の中に溶け込んでいる。
以来僕の中でのイサムのインパクトは
少しも薄れることなく生き続けてきた。

東京都現代美術館(MOT)でのイサムノグチ展で
1927年から1988年まで、全46点の作品に
出会うことができた。
http://www.mot-art-museum.jp/top.htm
http://www.ntv.co.jp/isamu/
その多くはNYのノグチミュージアムからのもの。

平面から、立体まで。

紙から、木、石、金属まで。

数cmから、3.6mまで。


人。

愛。

自然。

地球。


心を暖かくするもの、目を見開かせるもの、ユーモアで包まれたもの、
苦悩を感じさせるもの、見るものを圧倒させるもの。。

当日はTokyoInternationalSchoolの低学年生徒が
見学に来ていたので、とても賑やか。
正直、アートの鑑賞には最悪のコンディション。
・ ・・と思ったが、発見もあった。

先生に「これ、何に見える?」と聞かれて
ある子供は「ロープーウェイ」。
ある子供は「おじいさん」。

直感的に感じたままを答えるのだ。というか、
答えられるのだ。オトナがウ~ンと思っている間もなく。

“鑑賞してちゃいけないのかも。
彼らみたいに感じなきゃ。”

ずっと見たかった作品だったので、向き合わなくちゃ、
よく見なくちゃとあせっていたかもしれないのに、
思わぬ来訪者のおかげでリラックスすることができた。

一部屋外に展示された公園の遊具としての作品は
遊べるように開放されていた。
彼らはアートを100%文字通り楽しんでいる。

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そして、今回の大作のひとつ。
Energy Void。(3.6m)


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目の錯覚に違いないのだが、その花崗岩の削り出しの
真ん中の空間を通して見る向こう側との間には、
なにか張り詰めたまさにエネルギーを感じてしまった。

何か、半透明の鏡が見えてくるような錯覚。
向こうが見えながら、自分にも目に見えない力が
そこに浮遊しているような感覚。
それとも。。


アメリカ人と日本人のアイデンティティの中で揺れ動き、
「地球人」であることに気づき、アートに表現を託したイサム。
1930年代には自然を活かしたプレイマウンテンの模型を
完成させたイサム。
50年後の1980年代後半、
ライフワークとも言える自然の中で
「公園」・・・とてつもなく大きなスケールの
・ ・というカタチのアートとして、84歳の時に
北海道で設計され、その1ヵ月後、
イサムはこの世を去ることになる。 
その遺作が、オリジナルの構想からすると、ある意味
70年かかって、今年2005年、完成した。

札幌モエレ沼公園(NOERENUMA PARK)。
http://www.sapporo-park.or.jp/moere/

偉大な功績とスピリットにRespect。

社会が複雑化すればするほど、そのシンプルさが際立ち、
あれもこれもと選択肢がふえれるほど、その潔さが際立つ。
人工のものが溢れれば溢れるほど、
自然素材のチカラが際立つ。
愛や平和が薄れれば薄れるほど、
その優しさと普遍性が際立つ。

これからもイサムイズムは僕を影響し続けていく。