cinnamonflavor55

シナモンを一振り 

一味違うフレーバー。。。 気になるモノ・コト・オモイを綴ります。 FreeHugs、SK8&KLEEN支援中!

2006年09月

12

シューマッハという時代


イタリア・グランプリはその引退劇に騒然となった。
予測はされていたことだが。

セナ亡き後、F1界のリーダーの紛れもない一人として
がんばってきた皇帝。

ロボット的な正確無比な走りは、好き嫌いに2分された。

僕もどちらかというと好きな方ではなかった。
情熱的な走りが、人間的なキャラクターが好きだったから。
もちろん、その強さは認めながらも。

スランプを幾度となく繰り返し、そしてどうしてそこまで
モチベーションが保てるのか、と観客を驚かせた走り。
ドライバーズ・ポイントが拮抗してきた中での
イタリア・グランプリはまさに
フェラーリの、そしてシューマッハのグランプリだった。

引退の記者会見コメントを聞いて、そんなアンチ・シュー派でも
素直に感じた人は多いのではないのだろうか。
今までお疲れ様。そしてありがとう、と。

セナの記録をぬいた男。
セナを英雄として尊敬していた男。
勝つことに人並みならぬ執着を持った男。
どんなに辛くても顔に出さない男。

同じく正確無比といえば、コンピュータで計算されたような
ストロークとパッシングショットで
スウェーデンのアイアンマンとも呼ばれた男がいる。

ウィンブルドン5連覇の金字塔を達成した時、
コートにひざまずき、歓喜の、人間的な表情を見せた
ビヨン・ボルグを思い出させた。
ロボットも人間だったと。

http://www.tenniscourt.jp/special/player/index.php


そしてボルグの時代を終わらせたマッケンローは
F1ではアロンソか、はたまたライコネンか。

ひとつの時代が、確実に終わった。
11

自由が丘に思う@9・11


夕方、1時間ほど時間ができたので
用事の途中で久しぶりに
自由が丘に寄った。

沿線の高校の帰り道、よく通ったものだ。

そして学生時代、バイト仲間たちと。

社会人になって、彼女とも。

最後に行ったのはいつだろう。。。
ぐらい、久しぶり。

以前、「おかじゅう」と呼ばれていた
自由が丘、今は「がおか」と呼ばれている。

街並みは随分と変わってしまった。
トップドッグも、あの店も、あの店も、なくなってしまった。

人の流れも、人も量も。

ただ、この街を歩いている人のどこかのんびりした感じは
あまり変わっていないような気がした。

少なくとも20年以上変わっていなかったひとつの店、
バターフィールドに寄ってみた。
寄ってみた・・は正確じゃない。

まだそこにあって欲しい・・とパーキングから
念じながら歩いていったら、変わらずそこにあり、ほっとした・・
というのが近い。


c229ec57.jpg


店内に置かれたフォーンブース、




120c475a.jpg


数々のネオンサイン、




48474239.jpg


そして、天井で廻るファン。




見事に何も変わっていない。




ここは、ポパイ、JJ世代には懐かしい
アメリカそのもののような店であり続けている。

そう、僕らにとってアメリカは
特にそのカルチャーは偉大だった。





日付が変わって、9・11。

マイケル・ムーアの「華氏911」を久しぶりに観た。

第二のベトナムになりかけた(なったと言えるのかもしれない)
イラクには、民間人には、送られた兵士には、その家族には
何がもたらされ、何が失われたのだろうか。

民主主義と自由の名のものとで。

この映画の全てが正しいのか、わからない。
詳細な情報を持ちえていない自分があれこれ言うこともできないが、
人間がお互いを信じあり、尊敬しあい、共に生きていくのが
いかにむずかしいのか、考えさせられるキッカケとなった評価は高い。

夕方「自由の丘」にいた時は、ああ、なつかしい!
と単純に思っていたが、
9・11のあの記憶がよみがえり、
その後のイラクの苦悩がよみがえり、、、

今、この日本で、色々ありながらも、
まあ自由でいられることに感謝。

そして、世界に自由が訪れることを
切に願う。

6

ギョーカイ用語、フランスでも。。


タクシーをシータク。

寿司をシースー。

モデルはデルモだし、六本木はギロッポン。

TVの業界ではやたらとコトバをひっくり返す。

堺正章さんなんて、2回ひっくり返り、
マチャアキから アキ・マチャを超えて
キアチャマと呼ばれているらしい。

広告業界でもTV業界とダブって割と使われることは多く、
知り合って割とすぐに人を「○○ちゃん」と呼ぶ風習とあわせて
肯定派、否定派に分かれたりする。

自分のまわりでは当たり前のように使うわけでもないが
会話のちょっとした楽しみにしばしば登場したりすることも。
(ようはコトバアソビ的な)

先日のラインチタイム。

「今日のルーヒーは?」
「メンラーもドンウーも行ったし。」
「じゃ、スーシーで。」となった。

一ツ木通りの寿司屋さんで
「なんでひっくり返すんだろうねえ、そもそも。」という
「ギョーカイ用語そもそも論」について盛り上がり、
1.5人前が来たところで、
「あ~、ルービ飲みたいね」、「ルービ頼んじゃう?」と
半ば?冗談で言っていたら、店員さんが一言、
「ルービ、行っときます?」

いや~、さすが、TBSの街。


さて、こんなギョーカイ用語現象は、
当然日本だけかと思っていたら、
なんとフランスのTV番組でも本当にあるらしい。
(シースーに行った同僚談)

メゾン → ゾンメ~
タンゴ → ゴタ~ン
てな感じでキャスターがしゃべったり、
コーナータイトルになったり。

「インターナショナルTVギョーカイ用語バトル大会」
なんてもしあったら、
まったく会話が成り立たないだろう(笑)。

“Why don‘t we take a 
シータク to ギロッポン?“
から始まり、各国のコトバがひっくり返る。
なんてことも遠くない将来には起こるかもしれない??
(ないない。。^^; たぶん)



生きているコトバ。

言葉の乱れが問題視され、正しい使い方が失われていく現代。

残し、伝えていくべき「正しい」ものは大切でありながら、
一方毎日、日本の、世界のどこかで生まれてくる、
その場、その仲間だけにしか伝わらない言葉もまさに
コミュニケーションの手段としてはアリだと思う。
というか、否定するまでもなく、
そこにたしかに存在している。
(正しいのかどうかは別にして)



コトバ。言葉。言の葉。

時に文学であり、
時に手段であり、
時にビジネスであり、
時に暴力。
時に絆。

ココロの叫びであり、
笑いのネタであり、
愛のささやきであり、
癒しの魔法であり。

そもそもギョーカイ用語ってどうよ
・・と向き合ってみて、
奥深さを見つめ始めたら、
たまらなく無限なるものと
感じられてきた。

言葉との付き合い、
もっと大切にしなくては。
もっと感謝しなくては。
6

醒めてほしくない夢



「夢なら醒めてほしい。」
ありえない現実から逃避したい心境の表現だが、
逆に、おもしろくてこのまま見続けたい夢
(=「理想」の夢ではなくて、)文字通りの夢って
ないだろうか。

人は覚えていないだけで夢はよく見ているらしい。
そして目が覚めた時、ものすごくリアルに覚えている夢もある。
ハリウッドのCG大作映画のような壮大なものではなくて、
よく通った道でなぜか空を飛んでいるとか、
割と現実に近くて、でもありえないストーリー。
大切な人が危機に直面して目が覚めたら涙を流していたり。
あの人とあの人と一緒にめまぐるしい展開の中を
進んで緊張の連続だったり。
企画書の続きのプレゼン準備でドキドキしていたり
(>なるべく避けたい夢 笑)。

映画と違うのは自分の脳の中で構成される、
自分に関わる話ということだろう。
楽しい夢も、悲しい夢も、
ドキドキも、ワクワクも、ビクビクも。

最近アドベンチャー系映画を観たからか、
先日の夢はまさにアドベンチャーもの。
ジャック・スパローとインディー・ジョーンズが混ざったような
冒険の中で、次に進んでいくのだが、ドキドキワクワク。
さあ、次の冒険は・・と思った瞬間に目が覚めてしまった。

久々の「醒めてほしくない夢」
それは、二度と再生できない夢。
語ることはできても、誰にも見せることはできない夢。
(「こんな夢を見た」と映像化できた黒澤監督は
幸せだったのだろうか。)

いつまでも見ていたい夢。

終わって欲しくない夢。

自分ではコントロールできない、
結末の見えないプロットは
自分の潜在意識が書いているのか。
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