cinnamonflavor55

シナモンを一振り 

一味違うフレーバー。。。 気になるモノ・コト・オモイを綴ります。 FreeHugs、SK8&KLEEN支援中!

2006年01月

24

コラボレーションが生み出す可能性

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col・lab・o・rate
vi. 共に働く; 共同研究する ((with, on, in))

今や新鮮さという意味では既に使い古された感もうまれながらも、
未だに躍動感もあり、ポジティブに捉えられるキーワード:
「コラボレート」。

言葉としての目新しさは薄らいでいきつつも、
実態としてはこれから「変わった組合せ」という評価を超えて
成長していくであろう新しいダイナミズム。

Swatch X Mercedes = 
Smart
といった有形のプロダクトから、
SuperDRY X MTV = 
MTV THE SUPER DRY LIVE!
といった無形のイベントまで、
主に異業種や、今までは直接の接点のないと思われていた
複数の主体者が、まさに協働でつくりあげていく
新しい着地点にして出発点。

わかりやすいのは 企業 X 企業 であったり、
ブランド X ブランド であったりするが、
ブログやSNSなどのツールの恩恵もあり、
今までつながりようもなかった
個人 X 個人 のコラボも続々と生まれている。

先日、原宿でステキなコラボに出会った。

VISUALIST:
tetsu-low
http://www.tryatworks.com/aboutus/aboutus.html




花火写真家:
福田 武 
http://www.geocities.jp/hanabifukuda


tetsu-low君との出会いは
昨年10月の渋谷ON@OFFでの「ゴールデンタイム」イベント:
http://blog.drecom.jp/cinnamon-flavor/daily/20051020

いつか個人レベル、仕事レベルでコラボできればと
感じていたセンスの持ち主だ。

フクダさんの事はtetsu-low君の
イベントのお知らせで知った。
ちなみに彼ら二人の出会いはリアルでの紹介とのこと。

「花火写真家」。
ずいぶん前に「夕陽評論家」という肩書きを聞いただけで
どんな人、どんな仕事なんだろうと興味の針がグンと振れた
油井昌由樹さんと同じような予感がした。

会場はCafe ratia 
http://www.hyg.co.jp/business/caferatia.htm



最近はこんなキッカケでもないと
なかなか行くこともなくなってしまった原宿の
表参道からちょっと奥に入ったところに
最近オープンしたカフェレストランだ。

「えっ、これが花火?」
「デジタル処理をしていない、フィルムの一発撮り?」
Web上で見たフクダさんの作品にまずは圧倒された。

映像素材と文字と音楽を巧みに構成するデジタルVISUALIST,
20代のtetsu-low君と、
今まで見たこともない(もちろん)アナログ花火のPHOTOGRAPHER、
40代のフクダさんがコラボすると、
一体何が生まれるのか?

就職して初めてのクライアントがニコンであったことから、
Photographyの素晴らしさを知り、
その後CMに特化した5年で映像の奥深さを知った
自分のスタンスからも
このコラボ・アウトプットには期待が高まった。

結果は・・・
デジタルのシャープさ X アナログのあたたかさ、
静止画の強さ X 動画の軽快さ、
そしてもちろんのことであり、最も大切な
tetsu-low君の個性 X フクダさんの個性。。。

フクダさんの魂を込めたショットで
夜空に上がった花火に新たな息吹が吹き込まれ、
その写真が、tetsu-low君の
魂を込めた映像表現でまた新たな息吹を吹き込まれる。
つまり、夜空に上がった花火が2度昇華して目の前に・・
正確には原宿のカフェのスクリーンに、現れたわけである。

(冒頭のPHOTOは、そういう意味では一度目の昇華作品。
 *フクダさんには掲載OKいただきました。)

すばらしいコラボ (=“「X」効果”)がある一方で、
「X」とは名ばかりで、「+」の域を出ないコラボ風もある。

その夜は、“「X」効果”オーラの非常に高い、
ここでしか見られないステキなアウトプットを見せてもらった。

そして、コラボの産物は作品だけにとどまらない。

tetsu-low君とは再会を祝し、
フクダさんとは同世代、ニコンつながり、地元つながりといった
接点も含めて、急速に親しみを覚えることができた。

さらに、コラボ効果は伝播していく。

20代を中心としたデジタル世代のtetsu-lowファンと、
4・50代を中心としたアナログ世代のフクダさんファンが、
作品、イベントを通してそれぞれの新たな世界と魅力を知り、
あらたな出会いをつなげていく。
さらにこのリアルな接点が
tetsu-lowワールド単体でもなく、
フクダワールド単体でもなく、
あらたなワールド感を携えてサイバーでひろがっていく。。。

今日も、今この瞬間も、東京の、いや日本の、世界のどこかで
無数のコラボが始まっているはず。

個人レベル、企業レベルを問わず、
コラボの波動が広がっていく。

時代は「+」ではなく、「」によって、
まさに、躍動感を持って、ポジティブに動いていくだろう。

さて、あなたにとっての 「X」 は?
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「深夜特急」のヒミツ(3:最終章)

第三便の遅れた訳

第一便、第二便の出た当時、
第三便も「半年後には出るだろう」などと
答えたいたらしいが、実際には「六年もかかった」。

まず、第一便、第二便は主に新聞での連載をまとめたもので、
連載が終わり(期間として)「ほっとしてしまった」ようだ。

次に他の執筆が忙しくなっていたこと。

そして第三の理由は、第三便での旅が旅としての
「むずかしい段階にあった」からであるということ。

旅をひとつの人生とすれば第一便は青年期、
第二便は熟成した壮年期。
トルコ以降の第三便は終末へ向かう老年期であり、
「どう旅を終わらせるか・・という大きなテーマには
まだ準備ができていなかった」のかもしれない。

ある評論では「全三巻の予定だが、
旅は二冊目で完結しているとも言える」と
書かれ、沢木氏自身も「そうかも」と感じたようだ。



必要だった時間

しかし、前二冊には第三便の章立てを刷り込んであり、
これを完結しないのは「美しくないと思った」。

未知の旅の頂点に向かった第一便、第二便に対して、
第三便は既にわかっている世界に下りてくる旅。
読者が待ち望んでいる作品として、
第三便の存在意義を見出すのに
時間がかかったのは当然かもしれない。
いや、むしろすぐに第三便を出していたら、紀行文として
若干違うものになっていただろう。

第三便の「あとがき」にある一節が印象的だ。

「・・・この六年が、この第三便には必要だったのだ、
という気さえする。」

こうして、「深夜特急」は、見事に完結したのであった。



れから旅する人へ

2005年、「深夜特急」が韓国で翻訳出版されることになり、
出版に寄せて、ということで、沢木氏が韓国の若き旅人に
こう記している。


(要約)
旅は気軽にできるようになったが、
大切なのは「行く」ことだけでなく、
「行く」過程で、何を「感じ」られたかが重要なのです。

あなたが旅をしようかと迷っているなら、
こう言うでしょう。
「恐れずに。」
「しかし、気をつけて。」

旅は人間がいかに小さいかを知る場であり、
大きくなるための場である。
教師は世界中の人々であり、
教室は世界そのものであるという学校。
そして、教科書を作るのはあなたなのだ。
(要約ここまで)

*****************

最後の五行にすべてが凝縮されていると思う。
ある意味、喜怒哀楽の極限さえも旅の中で
味わってきた沢木氏ならではの言葉だ。

いかに旅がすばらしい学校か。
そしてどれだけすばらしくできるかは自分にかかっている。

「深夜特急」ほどではないが、いくつかの旅を経験してきた
自分でも、この気持ちはとてもよくわかる。

リアルな「発見の旅」は時間的にもなかなか行けるものでもない。
これはこれであたためておきたいと思う。

そして、そんな夢の旅までは灰色の毎日・・
とするわけにもいかないので、
日々、発見のプチ旅はこころがけたい。

あらためて、人生という旅を見直す時期かもしれない。
まだまだ小さな自分。

それほどまでに、世界というものは大きい。


(長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。)
15

「深夜特急」のヒミツ(2)


遅くなってしまったが、
いよいよ本題に。
「深夜特急」のヒミツ、第2章。

Coyoteの特集:「深夜特急」ノートから
いくつか気になったストーリー・裏話を
ピックアップしてみた。

「深夜特急」に載っていることも含めて
色々とあの旅の原点が見えてくるような気がする。


西へ
あの旅 ~西へひたすら進む旅~ は初めての外国:韓国に
行った時に芽生えたらしい。
日本という島を離れて、大陸に降り立ったとき、このまま
「西に向かってどこまでもいけばパリに行けるのだな」と。

当時の若い旅行者の多くはヨーロッパからアジアへの“西→東”コース。
「他の人と同じことをするのがいやだった」ので、
それも「乗り合いバスという誰もしない馬鹿げた方法」で。

それが予想以上に長い、そして深い旅になるとは
思わなかったのだろうが。
そして、この東→西というコースが、
「第三便」の出版に6年もかかる布石にもなったとも言える。

ストップ・オーバー
出発はデリー、到着地はロンドンと決めた。
「デリー発ロンドン行き」という響きが「切れ味が良かった」からという。
う~ん、こんな決め方、かっこいいな。

ところが折角決めた出発地がいとも簡単に変更になった。
それは、チケットを受け取りにいった際に初めて聞いた
「ストップ・オーバー」という言葉。
途中でふたつの都市に寄ることができると聞いて、
香港とバンコクを選んだという。
こうして香港が出発地になったわけだが、
この変更が大きく旅が変化するきっかけになるとは思いもしなかったろう。

まさに「深夜特急」の旅は、
出発する前から、こうして、その運命が決められていたとも言える。

百ドル札一枚
三~四ヶ月で帰ってくるつもりの旅に、某出版社の編集者が餞別といって
渡してくれた封筒には百ドル札が一枚。
「粋なふるまい」に参ってしまったらしい。

実際、パスポートの奥にしまい、いざと言う時にとっておいたこの一枚が
「どれだけ心強かったか」。
結局帰るまで使うことのなかった百ドル札。
以後、しばらくは自分が旅するものへの餞別として渡したという。

なるほど、餞別とはいくらかのお金ではなく、
ココロのよりどころとしても役立つとわけだ。

ガイドブック ~確認と発見~
沢木氏はガイドブックを持っていかなかった。
世界的なクライマーY氏の言葉:
「できるだけ素のままの自分を山に放ちたいんです。」
この言葉が沢木氏には大きく響いたらしい。

山を国にかえてみれば、
「できるだけ素のままの自分を異国に放ちたい。」ということになり、
「その地で何も知らないことによる悪戦苦闘によって、よりよく
その土地を、そして自分自身を知ることにもなる」と感じたという。

僕自身も旅には「確認の旅」と「発見の旅」があると考えている。
そして「発見の旅」が格段にスリリングで感動的であるのは
いうまでもない。

たしかに「え、ホンモノのホワイトハウスって、こんなものか」
という確認だけではなく、
例えば声もでなかったグランドキャニオンの大きさは
まさに確認を超えて発見の旅であったが。


ミッドナイト・エクスプレス
沢木氏は旅から帰って三年後、一本の映画に出会った。
「ミッドナイト・エクスプレス」。
「深夜特急」は、少なくともこのタイトルの紀行文はこの映画がなかったら
書かれなかっただろうと回想している。

舞台はトルコ。
主人公のアメリカ人学生ビリーはハシシを持ち帰ろうと隠して機内へ。
つかまって刑務所の中で凄惨な日々を費やすことになる。

僕もCoyoteで読んで初めて知ったのだが、この映画には
ものすごいメンバーが関わっていた。
製作:デビッド・パットナム
監督:アラン・パーカー
脚本:オリバー・ストーン

マリファナの取引に使われる店は、沢木氏にはどうしても
長期旅行者が利用するイスタンブールの「プディング・ショップ」に
思えてならなかった。
よくよく調べると映画のロケ地は違うものの、原作ではビンゴ!
「プディング・ショップ」であった・・というわけだ。

・・ということは、まさにその運命と自分の運命も紙一重だったかも
しれないのだ。 自分があんな目にあっていたら、という
イメージが強く感じられ、沢木氏の心に刻まれることとなる。

原作でやはり!となる着眼点、観察力はさすがである。
逆にそれほどに「プディング・ショップ」には独特の
オーラがあったということか。


ミッドナイト・エクスプレス(2)

映画では脱獄することを「ミッドナイトエクスプレスに乗る」と
表現していたが、沢木氏にとってもあの旅が
自分なりに「ミッドナイトエクスプレスに乗っていた」と感じたらしい。

紀行文のタイトルは
「ユーラシアの果てまでの旅」などの候補がありながら、
最後まで「飛光よ、飛光よ」が残っていた。
同時に、沢木氏には「ミッドナイト・・」の記憶が鮮烈に残っていた。
そのまま訳せば「深夜急行」になるが、「特急」の方が「落ち着きがいい」。
実際は鈍行に乗ってのような旅であったが、あの深い恐怖とスリルが
消えることはなかったのだろう。

なぜ、急行列車などに乗る旅でもないのに、「特急」なのか
疑問にも抱いたことがなかったが、そこには「速い・遅い」の
特急ではなく、こんな想いが込められていたわけだ。

第2章はここまで。

「深夜特急」にあわせて?の3部構成、
最終章では、第三便の出版が遅れた訳、など
いくつかのヒミツを記したい。
9

「深夜特急」のヒミツ(第1章)


1986年の夏、2冊の刊行本にうなされた。

当時、初めての一人暮らしを信濃町で始めていた。
親元から会社までは1時間もかからず、通うことはできたが、
是非してみたかった一人暮らしが始まって間もなくのことだったと思う。

友人におもしろいよ、と薦められ、書店で買い、
神宮外苑の絵画館前の広場で地面に座り、
石の壁に寄りかかり、デイパックから買ってきた本のうち
1冊目を取り出し、なにげなく読み始めた。

「深夜特急 第1便 黄金宮殿」。

気がつくとあっという間に2時間程たっていた。

読み出したらとまらない・・・というのはこういうことをいうのか。
絵画館前からどこへ移動したかはハッキリ覚えていないが、
一気に1冊を読み切った。
そして、体の中になにか熱いものが残っている。
体温が2度くらいあがったのでは、そう感じる熱さだった。

「深夜特急 第2便 ペルシャの風」も読み終えるにはさほど時間がかからなかった。
(ちなみに、「第3便 飛光よ、飛光よ」)はその6年後に刊行された。)

1985年の初春、「この試験が通れば卒業単位になる」というテストを
「う~ん、いけたかな。」と直感したところで、卒業旅行ということで
学校の友人たちと1ヶ月の貧乏旅行に旅立った。
帰ってきてパスしてなければ、留年だったが、結果を待つことはできなかった。

目的地はアメリカ西海岸~メキシコ~アメリカ東海岸。
カンクンからマイアミまでの必然的空路を除いては全て陸路のノロノロ旅行だ。
その当時流行り始めた「地球の歩き方」を1冊とトラバラーズチェック、そして
バックパック。 (今でこそ、「ニューヨーク」とか街単位でもある「歩き方」は当時、
「アメリカ・中南米」で一冊だった!)
クレジットカードを持っていないので、金がなくなったら終わり。
そんな緊張感とある程度の予算計画書を持っての出発。
個人旅行の小さな代理店で大韓航空のエアーオンリーチケットを買い、出発。

途中、出る時と入る時で大きくレートが変わる変動の激しいメキシコのペソの影響で
1週間のつもりのメキシコ滞在が2週間になった。理由は簡単だ。
当時は1ドル=約250円。
「NYでは1日約5000円。ここカリブでは約1000円。
予定通りだと、NYで行き止まり。デッドエンドだ。宿や帰る金もなくなる。
よし、この島にあと1週間いよう。」なんて、友達と苦笑いしながらも
かなりの緊張感を持ちながらの旅。

そして友達とくっついたり、離れたり、合流したりというなかで
地球の裏側で全くひとりぼっちの日々もあり、
そんな頼りなさもほぼ消え去るような発見と興奮、驚き、感動の日々。
日に焼け、髪もヒゲも伸び、下痢をして痩せ、Tシャツを行く先々で洗っては干し、
2週間前に洗ったジーンズはメキシコのコインが重くてポケットが破けそうだ。
鏡はあんまり見なかったが目つきも鋭くなっていただろう。


そんな旅を経験したからということもあるだろう。
「深夜特急」に書き綴られた旅があまりにもリアルに息づいて感じられた。
旅の緊張感、開放感、せつなさ、満足感・・・というものが
ビンビンと伝わってくるし、思い起こされる。
行った場所、時間は全然違うのだが、貧乏旅行特有の感覚は全く同じだ。

そして自分の何倍もスゴイ旅をしてきたヤツがいた。。。
「深夜特急」の中にはそんな興奮と驚きが閉じ込められていた。。。


先月、スイッチ・パブリッシングからの偶数月発行のトラベル雑誌、Coyoteで
特集:「深夜特急」ノートが組まれているのを知り、
思わず中味も見ずに買った。

そこには、あの伝説のバイブルに隠された
たくさんの、そしてステキなヒミツがあった。

(→「深夜特急」のヒミツ(2)に続く)
3

ありがとう。そして’06は・・

’05年、ブログやSNSでお世話になったみなさん、
ありがとう!
色々なエネルギーや、応援や、視点などをもらいました。

’06年は「メリハリ」の年にしていこうかと思います。
変化のある年、ストーリーのある年、緩急のついた年。。

光と影は表裏一体であるように。。

影があるから光が美しい。
そんな視点で考えたり、行動したり。。

メリ・メリでもなく、ハリ・ハリでもなく、
ちゃんとメリハリをつけてみる!・・・と
敢えて年頭に思ったこともないので
そんな年にしてみたいと考えたわけです。

元々持続力系よりも瞬発力系の自分を見つめて
いい年にしたいと思います。

バーチャルでも、リアルでも。
シナモンを、木村 純を今年もヨロシクお願いします!

色々話しましょう♪


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